普通になったモノ

 ある時、電車に乗っていた時、街中で移動の時……思わず、「すごいな~」と軽い感動を覚えました。

 「いきなり、なんだ?

と思うでしょうね(笑)。
 いやいや、ジーンズをはいている人が多いこと。それだけ、ジーンズがはきやすい環境になっているんですが、これがすごい!
 なぜなら、多くの人々がジーンズを普通にはいているということは、それだけ、ジーンズが身近に受け入れられていることだから。

 そのジーンズは、もともと、作業着だったとか。詳しいことは調べればわかるでしょうが、作業着だったということは知っています(笑)。
 ちなみに、ウィキペディアによると、
1870年ゴールドラッシュに湧くアメリカで、仕立て屋のヤコブ・デービス(Jacob Davis)は、既に設立されていたリーバイス社のリーバイ・ストラウスから仕入れたキャンバス生地を元に銅リベットでポケットの両端を補強したワークパンツを発売、鉱夫達に好評を博した。

類似品が出回ることを危惧したヤコブは、このリベット補強済みパンツの特許を取得しようとしたが必要な資金が無く、権利を折半するという条件でリーバイ・ストラウス社に特許申請を依頼する。特許申請は1873年5月20日に受理され、このリベット補強済みパンツはリーバイ・ストラウス社製の製品として製造販売される。このパンツがジーンズの原型である。

その後、素材はキャンバス生地からインディゴ染めのデニム生地へと変遷し、縫製技術の進化等により1940年代には現在のジーンズとほぼ同様のデザインとなった。1953年のマーロン・ブランド主演の映画『乱暴者』でLevi’s 501XXを、1955年の映画『理由なき反抗』でジェームズ・ディーンがLee RIDERS 101を着用する。これを機にジーンズはファッションとして普及していったが、当時アメリカでは反抗的な若者の象徴と見なされたため、ジーンズの着用を禁止する学校が多かった。

1956年、日本で初めてジーンズを輸入販売したのは港区北青山一丁目に在った栄光商事(後のEIKO)である(その後は米軍やその家族の放出品であるセコハンジーンズを扱う店がアメ横に登場)ロカビリー歌手やGS(グループサウンズ)の人気グループ御用達の店として、また長きに渡って一般客にも愛されたが現在は多様な店舗展開により北青山一丁目の本店は閉鎖されている。

1970年代以降は男性のみならず、若い女性もジーンズをはくようになるが1977年に大阪大学でアメリカ人講師がジーンズを履いた女学生を教室から退室させたことから「阪大ジーパン論争」が起こる。この論争は「ジーパンは作業着で、女性には似つかわしくない」という講師と「ジーパンはもはやファッションの一部」という女学生の主張が真っ向から対立し、最終的に講師が阪大を去るという結果となった。

 そんな作業着だったジーンズが、普通の何気ない時や仕事や生活やファッショに気を使う場面でもはかれていることは、ジーンズが一般的に認知されているからこそ。
 そう思うと、はじめは単なる作業着だったのを、ここまで普及させる、しかも、世界的に普及させるまでに拡大して、なおかつ普通にはくという、生活の一部にまでさせることは、奇跡ですね。それだけ、難しいこと。

 最近では、アップルのiPhoneとかが奇跡なように思うかもしれませんが、ジーンズの普及に比べると、まだまだ(笑)。というと、つまり、携帯電話、電話機ということでは、当てはまるかもしれません。まぁ、iPhoneもすごいことには変わりませんが(笑)。
 テレビやパソコン、本もそうですね。いろんなところに、私達が普通だと思うモノがありますが、それが普通になるということが、どれだけすごいことか。
 もし、その軌跡が起こらなければ、今の便利な一部がなかったかもしれないのです(笑)。

 ジーンズがすごいのが、年代をあまり選ばないこともありますよね。若い人からお年寄りまではけますね。
 それに、作業しやすい気軽さや洗濯のしやすさ、ジーンズをはいてもおかしくない場面の多さなどと、普通になっている要素は多いかと思います。

 そうしたモノを発明するのって、どんな時で、どんな気分で、どんな過程と努力、大変さ、それを出した時の状況や反応はどんなだっただろう? などと考えますが、わかりません(笑)。

 もしかしたら、発明した時や案が浮かんだ時、世に出した時は、何気ないひと時だったかもしれませんね(笑)。

 ジーンズを考えた人は、ここまで広く普及するとは思っていなかったのだろうと思いますが、今、これだけ普及したのを見ると、どういう反応をするのか、気になります(笑)。

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