「日本の安全はこれまで高かった」という意識が強い。しかし、事故やトラブルが起きるたびに「安全神話崩壊」が語られる。しかし、「安全」という言葉が独り歩きしている現実は、意外と身近なところでも多い。
今回の原子力発電所事故にしても、焼肉酒店「えびす」の食の件にしても、これまでにも同様の問題は程度の差こそあれ多々あった。原発にしても、もんじゅのトラブルや制御棒が落下する事故などなど。
そこで安全を判断するモノは何だろうか?実に抽象的になりやすい答えかもしれない。これまで日本は安全に対して信頼される国だった。皆が優秀でそれぞれの現場でコストをかけ、安全になるべくして努力したからこそ実現されてきた。しかし、それだけでは経済が回らなくなってしまったのも事実。そうした安全の努力により商品が出回るが、安全の努力は目に見えにくい。それらの商品が普通になって、出回っている商品は安全だ、という意識が知らないうちに浸透していってしまう。そうして、経済危機の中、安さに目がいきがちになる。
「安全(質の高いということもいえる)」で「安い」!これが、大きな目的となって、消費者も飛びつく。これにこしたことはないが、この「安全」がどこかで当たり前になっていく。つまり、意識的には、安全は基本だから意識しなく、安さばかりに目がいってしまう。
こういう世の中だとそれはそれでいいのだけど、ただ、安全の判断をする能力は衰えていく。安全の判断基準がわからないから、事故やトラブルが起きるとパニックになるし、同時に事故が起きやすくもなる。
私がアジアを旅していた頃、外国人が日本人に対して疑問を持つことでよく聞いた話がある。
世界中を旅行する人々は多くいるが、旅行をすれば移動することも多かったりする。そこで、移動手段として、バスや電車、タクシーなど、様々な移動手段を利用する。その際、「いくらで移動するか」といった交渉をすることも多い。そこで、日本人に対し、疑問が浮かぶそうだ。というのは、日本人は「とにかく、安い方にいく」というのだ。
外国人は「安過ぎる=危険がある」と思うから、「日本人、大丈夫か?」となるわけ(笑)。日本でも危険な場はあるが、外国から見れば平和で素晴らしい。しかし、平和なことがあだとなってしまい、安全意識がすごく低いという。だから、危険な目にあう日本人も多いという。安全にはある程度、お金がかかるのだ。
安全にはコストというリスクもあり、今回の原発にしろ、ユッケの件にしろ、これまで回っていた(ようにみえた)サイクルに大きな課題、教訓を残したように感じる。