「私のフォト・ジャーナリズム~戦争から人間へ~」/長倉洋海

 長倉洋海氏を知ったのは、新書「フォト・ジャーナリストの眼」を読んでからでした。当時、私はこれからの自分を夢見る(今でもそうですが)、20代前半でした。将来の職業や人生の歩み方で悩んだりしたり、しかしコツコツと前に進んでいる時に、「フォト・ジャーナリストの眼」に出会い、衝撃を受けました。そこには、長倉氏のフォト・ジャーナリストに対する悩みと夢がぎっしり詰め込まれていて、同時にすごく人間味のある長倉氏がいました。
 そして、「私のフォト・ジャーナリズム」では、フォト・ジャーナリズムという写真、報道の可能性が長倉氏の生き様を通じて、感じることができます。

 写真家の職業は厳しいものです。それと同じく、フォト・ジャーナリストの世界も非常に厳しいものです。その世界はスクープを目指して、多くのフォト・ジャーナリストが競い合っています。そんな中で職として食べていける人々も少なく、さらには注目される存在も少なくあります。ただし、スクープだけが必要ではなく、隠れた物事も必要になってきます。
 長倉氏は戦場でのスクープを目指し、通信会社を辞め、フリーランスになり、アフリカや中東へと飛び出していきました。しかし、周りには同じようなカメラマンたちがいて、優秀な人々はスクープを繰り出しました。周りよりも注目度が高い写真を撮るためには、さらに一歩、リスクを背負わないといけないとか、自分の先見の眼が必要だとか…といったことに悩みながら、戦場写真を撮り続けました。
 そうしたことから、長倉氏は様々な人々に出会い、助けてもらってり…する中、自分のフォト・ジャーナリストとしての写真を生み出していきました。フォト・ジャーナリズムとは戦場だけではない。それに、スクープだけではない。
 これまで取材してきた時に、出会った人々との継続的な取材。戦争というものだけではなく、その背景。そして、人間というものを長期的に撮り続ける、長倉氏のフォトが出来上がっていきました。
 私は何度か、長倉氏の写真展を拝見しましたが、子供の笑顔や人間味の写真に魅了されてきました。その写真からいかに長倉氏が、その人々と向き合って、取材、コミュニケーションをしているかがわかります。

 フォト・ジャーナリストの職業は、厳しくなってきています。写真を展開する場も昔よりは少なくなり、その環境も厳しいものです。
 そこで、長倉氏のフォト・ジャーナリズムは読者に対して、道しるべにもなっているように思います。こうあるべき、というのではなく、長倉氏自身からも問いかけているように。そして、自分はどうしていこうか、という判断材料としても大きなものになっているように思います。

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