発想の転換

「電気に変えない発想」

とある時、聞きました。いきなりこんなことを言われても、「?」となりますよね(笑)。これから、詳しく解説します。

 原子力発電所の事故問題もあり、再生可能エネルギーの注目度が高まっています。自然エネルギーですね。太陽光や、風力といったものです。今後、こうした自然エネルギーの活用が必要になってくると思います。現に、温暖化問題など環境悪化は深刻になっており、石炭や石油といった化石燃料による環境汚染は深刻になっているからです。
 そこで、太陽光や風力などといった再生可能エネルギー(自然エネルギー)に目が行くようになってきたわけです。これまでも注目されることはありましたが、現実に普及にはなかなか…と進まなかったり。しかし、「これではいけない」とか「もうそんな悠長なことは言っていられない」といった感じで、お尻に火がついて、崖っぷちに近いところまできている…という状況になってきたことから、今回は本格的に動き出そうとしているもようです。
 しかし、そんな時、冒頭の「電気に変えない発想」という言葉を聞いたわけです。つまり、再生可能エネルギーを電気に変えるのではなく、それを電気に変えなく、そのまま活用するといった発想です。電気に変えるから、電気に変えるための労力や電気になっても活用できない分とかが出て、結果的にそこから無駄になってしまうエネルギーも出てきたりします。それだったら、はじめからそのままの素材を活用して、利用することから、その素材の持ち味を100%に近い、高い質を得られることができればいいのでは?っということです。
 自然のエネルギーをそのままうまく活用する。そうしたことができると素晴らしいですね。そうすれば自然の循環にもなり、人工的なものの副作用といったものは少なくなるのではないでしょうか?

 ただし、今の段階で言えば、一つだけ疑問はあります。もし、これが可能になったとしたら、どこまで快適になるのだろうか?ということです。
 ここで、ある映画から例をあげるとすると、映画「LIAR GAME」。実際のお金をかけて、ゲームに勝てば、お金を得ることができる。負ければ借金自国に(それも億単位)。ただし、ゲームの中では騙し合いもといった内容です。もともとはマンガ。それがドラマ化されて、映画にもなりました。映画ではゲームの最後のステージの内容。最終ステージのゲームの内容は、金と銀と赤のりんご、3つのりんごのうちでどれか一つを各人が投票する。もし、全員が赤りんごだと全員に1億円が。しかし、それ以外は…。ゲームの詳しい内容は映画を見て欲しい。
 この赤りんごを全部というのが今回、言いたいことです。つまり、その電気に変えない、ということで快適さを得ることは、このみんなで赤りんごということではないかと思ったりしました。というのは、みんなで取り組めば、その自然のサイクルで快適さが得られる。しかし、誰かが、金や銀のりんごを選ぶといった、人口エネルギーや廃棄物が深刻なやり方をする人がいれば、その自然のサイクルの快適さはかなり厳しくなったりする。現に、二酸化炭素問題で、京都議定書という取り組みで、日本やEUは京都議定書を通じて取り組んでいますが、アメリカとかは…。
 赤りんご全部の快適さの素晴らしさはどこまでかはわかりません。ものすごく快適になるのか、環境悪化は止まり、多少の改善は見られるぐらいの快適さかどうか。一方の金や銀のりんごの快適さは短期的には(素晴らしい)快適さをもたらすが、長期的には破滅(もしくは誰かが犠牲になる)というもの。
 だけど、今後そうも言っていられないというのは、確かにそうだから、この電気に変えないという発想。そのままを活用するということは、重要なキーワードになってくるのだろうと思います。
 赤りんごにかけることが今後の私たちに試されているのだろうと思います。