「みんな友達」の罠

 SAPIO(2011.3.9号)の「日本人のホコロビ 第45回」が面白かった!
 テーマは「みんな友達」。鳩山前首相が声を大きくして「友愛」を訴えたのを覚えているだろうか?当時、この「友愛」のスローガンをよく聞いたように思う。現実的にはどうだろうと思いながら、奥深くでは「みんな友達」というユートピアを信じている人は多いかもしれない。

 そこで、この記事の筆者は指摘をしている。
 「みんなと友達になろう」という無理難題を押しつけられれば、子供は仲良くする相手を選別できず、結局は誰とも友達関係を築けない。「友達を大切にする人間」を育てたければ、むしろ「友達になれない人」がいることを前提にして、そういう相手とも無難につきあえる方法を教えるべきだろう。「マナー」や「礼儀」である。これは、友達じゃない人とも穏便につきあうために編み出された知恵だ。それが崩壊の危機に瀕しているのは、「みんな友達」が正しいとする錯覚と無縁ではない。
 その技術が身についていないために、友達ではない他人との対話能力も退化しつつある。

っと(笑)。思わず、「なるほど!」っと読んでしまった。

 友達を守ろうと思ったら、友達じゃない人たちと対立するのは当たり前。そもそも「友達じゃない人」と区別して一線を引かないと、友達はできない。

 わかっているようで、わかっていないのかもしれません。

「非友達」とのコミュニケーションは、人に緊張を強いるものだが、それを忌避していたら、日常生活から外交まで、あらゆる人間関係が成り立たない。「みんな友達」は、対人関係の緊張に耐えられない人間を増やし、秩序をグズグズに…。

っと、指摘している。
 それでも、「みんな友達」だという日がくるかもしれませんが、それはいつになるのでしょうか?
 しかし、わかっているようで、わかっていないことがありますね。友達というものと、そうでないもの。そこから、マナーや礼儀、人間関係、外交…といった身近なことから、大きなことまでつながっているのです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする