直接手で触れずに魚をさばく神秘的な儀式だった、神田明神「だいこく祭~四條流包丁儀式~」

 1月10日(日)、神田明神(東京都千代田区)で開催されていた「だいこく祭」に行ってきました。
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 天気は快晴! 多くの人が神田明神に来ていました。

 正午から行われる「四條流包丁儀式」が目当て!
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 儀式は、12時30分から始まりました。
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 手で触らずに、魚をさばいていくのを見ることができました。
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 儀式が終わると、間近で見ることができました。
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 この四條流包丁儀式について、スタッフの方が説明紙を配っていました。

「 「包丁儀式」は日本王朝時代の厳粛な儀式であり、古典文化生活の一表情であります。

 四條流の名は平安朝の初期、五十八代光孝天皇が料理に趣味をお持ちになり御みずから包丁を執られまして、数々の宮中行事を再興されました。「四條流包丁書」には、四條中納言藤原臣山陰卿が、鯉を包丁したことから、包丁の儀式の切形がはじまったと記録されています。

 また「源氏物語」の「常夏巻」には―「いと暑き日、ひんがしの釣殿に出給ひて、すずみ給ふ、中将の君もさふらひ給ふ、したしき殿上人あまた候ひてにし川(桂川のこと)より奉れる鮎、ちかき川のいしぶしやうの物、おまへにて、調じてまいらす」―云々と書いてあります。

 また「宇治拾遺物語」では、記茂経が「さて狙板、洗ひて持て参れ」と声高いひて、やがて茂経今日の包丁仕らんといひて、真魚箸けづり鞘なる包丁抜いて云々と記されてあります。

 このように「包丁式」は、まことに古い時代から行われたものでありまして、幾多の文献を見ましても、そのはじめは殿上人(公卿)や、大名が賓客を我が家に招いた場合にその家の主人が心から歓待する意味で、まず、主人みづから包丁をとって、包丁ぶりをみせてその切った材料を、お抱えの御膳部の料理人に調理させて、ふたたびその賓客のお膳に供して、御馳走したものであります。従って「包丁式」というものは、厳粛の儀式であるとともに、あの平和な大宮人の風流優雅な気分と生活の一端を表現した社交儀式とも言えましょう。

 ことに「鶴の御膳包丁式」というものは、伊勢貞丈の随筆「纐纈の巻」にも記されてあるように、正月二十八日、禁中(宮中)の清涼殿で行われたもので、天皇の御膳でなければ許されないおごそかな包丁儀式とされておりました。この「鶴の包丁式」の切り形にも「式鶴」「真千年」「草千年」「舞鶴」「草鶴」「鷹鶴」というような名称の切り型があります。
「鯉の包丁式」の切形は四十種以上もあって、それぞれ、その名前も異なっています。
 たとえば「竜門の鯉」とか「長久の鯉」とか「神前の鯉」「馬場の鯉」「出陣の鯉」「梅見の鯉」「二唯の鯉」等々がありまして、その宴にふさわしい意味での包丁式がとり行われるのであります。

 また、鯉のほかには、鯛、真鰹、鱸、鮒、鮭、鯒、鯰などの魚類をはじめ、雁、鴨、雉、鵠、等々の鳥類もその材料に用いられます。雁を例にすると、「式雁」「真雁」「初雁」「帰雁」「落雁」「雁やつし」等の切型と名称があります。
 かように、「包丁式」は日本古来からの優雅な王朝文化財でありますが、戦国時代や、世の時代時代のうつりかわりに、この儀式の盛衰もありましたが、幸いにも「四條流」は次代の篩にかけられて滅びることなく、慶長以降、徳川幕府が餐応の礼式役に園部新兵衛尉かかえ、この包丁式の切形が、石井治兵衛(初代)に伝承されました。明治初期に高橋家より、宮内省大膳職を八代石井治兵衛(嘉晴)に譲り、九代に継ぎ、唯一人の人で、四條流宗家九代石井泰次郎翁であります。日本料理の最高権威である故山下茂氏は、この石井翁に師事して「包丁式」の奥儀をきわめ切磋琢磨すること、実に三十余年の長き歳月に及びました。
 今日としては、昭和四十五年十二代家元を襲名された故山下氏の「包丁式」は、あの先々代幸四郎丈の名技十八番「勧進帳」の弁慶ごとく有名であり一種の「名物」とされていました。然も近来この「包丁式」の伝承の重要性がとみにみとめられております。
 生前山下茂翁(號 柏亭)直門弟として師事し包丁式の秘儀を伝授十六代家元入口修三(號 柏修)「平成二十三年襲名」江戸時代前期に名蹟が石井家に移譲され、江戸慶長年間より、明治、大正、昭和、平成と数百余年の伝承を継承しています。
 顕在、日本各地に門人一同夜研鑽していることは、我が日本の無形文化財たる「包丁式」を永く後世に伝える意味からしても「四條流包丁儀式」の伝承は現在数多くの師範及門人に於いて継承されて居り日本包丁道のために悦ばしいことであります。」

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 儀式の前の待つ間には、こんな光景も見れました。
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 神田明神の境内では、太鼓の演出も見ることができました。
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 ビックリなのが、初詣、お参りの人の列!?
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 儀式を見終わった13時頃には、すごい人の列でした。

 男坂では、ラブライブ関連グッズがあるみたいでした。

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