新しくなった「姫路城」を見に行ってきました~姫路城 西の丸(上)~

 姫路城(兵庫県姫路市)の西の丸への階段を上っていきます。

姫路城西の丸(上)(17)

「西の丸 南門跡

 ここにはかつて西の丸への南入口の門がありました。番所付きの高麗門で、坂道の真ん中には約40cm角の正方形の礎石が残っています。坂道の西端にもいくつか礎石が残っています。
 門の東側には武者溜りがあり、門に接続して細長い建物がありました。菱の門から向かってくる敵に対して射撃をするための石打棚のような施設、あるいは番所があったのかもしれません。」

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「武者溜り

 土塀でほぼ正方形に囲まれていることから「武者溜り」と呼ばれています。こうした空間は、集団で軍事行動をする兵士を一時的に駐屯させる場所ともいわれます。菱の門の前方で石垣を張り出させた場所にあるので、菱の門や西の丸の東側に取り付こうとする敵を攻撃するための施設とみられます。また、18世紀頃の絵図には、隣接する西の丸南門に接続する建物が、この空間の南側土塀に沿って描かれています。西の丸に出入りするための南入口の警備する番人などが詰める番所もあったとみられます。」

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 するとちょっとした庭園のような広場があり、奥の方に「西の丸」がありました。

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「西の丸

 この曲輪は、姫路城主本多忠政が大坂夏の陣のあと、将軍徳川秀忠の長女千姫をめとった息子忠刻のために、元和4年(1618)に御殿を建てたところで、「中書丸」ともいわれていました。中書とは、忠刻の官職 中務大輔の唐名です。
 御殿を囲むように築かれた長屋は通称「百間廊下」ともいい、約300mの長さになります。そのうち、ヨの渡櫓から北の部分が長局です。小さな部屋が廊下に面して並んでいて、西の丸の御殿で働く女中が住んでいたとみられます。
 長局の北端に化粧櫓があります。大きく開放された窓や床の間、畳敷きなど、ほかの無骨な櫓に比べると、人が居住できる拵えになっています。千姫が男山にある天神社を拝むため西の丸に来た際に、身づくろいをしたり、休息した場所といわれています。」

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「百間廊下

 西の丸を囲むように築かれた長屋は長さが約300mもあるので、とても長いという意味で「百間廊下」とも呼ばれ、建物内は城外側が廊下、城内側が部屋になっています。そのうち、ヨの渡櫓には廊下に面して納戸のある小さな部屋が並んでいました。これが長局で、西の丸御殿で働く女中の住んだ部屋とみられます。
 また、この建物には、城外からの攻撃に対する防御機能もありました。城の西側は山がすぐ近くに迫っているため、防御上の弱点でした。そのため、城外側(西)に向けて格子窓や狭間がいくつも備えられました。格子は、木芯に鉄板を張りその上から漆喰を塗り込んで頑丈に造られています。戦時には廊下に鉄砲隊を配備すれば強力な防御線となり、雨天でも火縄銃で射撃ができる利点がありました。通常は部屋を倉庫として使用し、戦時には家臣の家財道具や家族を避難、収容することもできました。一見すると特徴がなさそうですが、実は姫路城の防御力を現している建物なのです。」

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 西の丸内では、様々な展示やパネルなど、歴史を垣間見ることができました。

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「播州姫路城図(大絵図)

本多家の重臣であった中根家に残る絵図。第二次本多時代(1682年~1704年)の城内を描いたものと思われる。明治維新後失われた備前丸、西の丸、三の丸にあった御殿が平面図で描かれており、住時の姫路城の姿が推測される貴重な絵図。
(原本絵図を約2分の1に縮小しパネル化した)」

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「廊下の大戸

 この廊下の大戸は、建物内の扉とは思えない頑丈な造りです。この扉の内側は女性が居住していた場所であったため、毎夜閉ざして厳しい守りとしていたと考えられます。」

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「「これが姫路城?」~黒田官兵衛孝高の姫路城

 この模型は、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」(平成26年(2014)1月~12月放送)の中で実際に使われた撮影セットを縮小再現して製作したものです。
 姫路城最初の藩主とされる黒田氏(当時は小寺姓)時代の姫路城の姿をイメージしたものですが、時代考証・建築考証の専門家によると、当時はこのように砦を思わせるような平屋の城がほとんどだったようです。
(あくまでドラマの撮影用の城であり、当時の姫路城を復元したものではありません)」

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「羽柴秀吉が築いた姫路城三重天守(右)

 黒田(小寺)官兵衛の姫路城に入った羽柴秀吉は、天正9年(1581)に城を大改造し、三重の天守を築きました。

池田輝政が築いた姫路城大天守(左)

 池田輝政は姫路城主になると、羽柴秀吉の築いた城を大改修。慶長14年(1609)、五重7階の大天守と3棟の小天守からなる連立式天守をそなえた城郭にしました。」

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(続く)

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