武者行列を見に「勝矢祭」

 5月5日(火)、東京都江東区の亀戸で「勝矢祭」が開催されました。

 この祭りで武者行列が行われると知り、見に行ってきました。

 武者行列は神出神社から出発し、香取神社へと向かっていくそう。

 「亀戸」駅から歩くこと約15分だったかと思います。行列が出発するギリギリな時間に、何とか辿り着くことができました。

 沿道で、武者行列を見ることができました。

 

 

 

 

 出発地の神出神社はこんな感じ。

 

草分稲荷祭記

 草分稲荷については徳川初期、現在の大島一丁目三十七番(釜長のならび)付近の草むらの中に小さなほこらが建てられていたと伝えられ、昭和のはじめまでは、付近住民が旧初午の日に寄付をもちより祭札を行ってきたと語り継がれているものである。
往昔南葛一円の地は徳川幕府による禁猟地であり、常時番人をおいて厳重に見張りをし、明治維新まで続いていた。現在の大島二丁目付近には鷹狩に使われる鴨池があり、御用屋敷と呼ばれるものが散在していたという。たまたま徳川三代将軍家光がこの地に遊猟の際、草繁き狩場で路にまよったところ、その道案内にたったのがこの稲荷である、ともいわれている。
稲荷神社は『うがのみたまのみこと』を祭神とし、食物一切つかさどる神とされている。城東地区はもともと農業地域であったことから稲荷社がかなり多いが、1596年から1688年の頃がもっとも多く、徳川二代の秀忠から五代綱吉にいたる頃といえよう。
 その後祀るものとないままに、さらに草地改葬があり、土砂雑草に埋もれかなりみられなかったが、ここに城東区役所が移ることになって、その新築工事が進むにつれ、ほこらも掘り出され業者によって庭の一隅に安置された。昭和15年(1940)区役所がここに移転するや、庁内の有志がほこらを復建し毎年ささやかな祭をしてきた。
 昭和16年頃この社が香取神社宮司の夢枕にたち『火難』があるかもしれないから後世大切に祀るようにとのお告げがあったと伝えられている。
 昭和48年4月、江東区民センター建設に伴い亀出神社の境内に区長並びに香取宮司立合いの上遷座したものである。

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