ちょっと「福井城」を

 福井県福井市の福井駅周辺には、かつて福井城があったそうです。

 福井駅前(西口)に「福井城旧景~百間堀~」の説明板がありました。

慶長5年(1600)、徳川家康の次男である結城秀康が越前68万石の大名として入国し、その翌年から6年の歳月をかけて、柴田勝家の築いた北庄城下を大規模な城郭と城下町に築き直しました。その遺構が現在の福井城です。
 福井城の平面の形は、本丸を中心に四重・五重の堀が回の字のように廻る環郭式の平城で、東は吉野川(のちの百間堀)の東側に新たな堀(現在の荒川)をつくり、南は足羽川を外堀とした、約1.6km四方の広さを誇ります。百間堀は吉野川に手を加えてつくられ、最も広いところでは約100mある福井城最大の堀です。
 幕末期から明治初め頃の福井城を描いた「百間濠及福井城東南」図は、百間堀の東側より本丸方面を望んだ図です。鳩門は百間堀の南端、現在の北の庄通りと元町通りの交差点付近にあった城門で、現在の南通り西側から元町通りや県営地下駐車場の東半分は当時は百間堀の中でした。
 福井駅西口広場は、百間堀東側の三ノ丸に位置します。本図で描かれているように当時百間堀越しに、二ノ丸・三ノ丸の二重塔と本丸の南東隅の巽櫓、南西隅の坤櫓を見ることができました。
 このモニュメントの台の笏谷石は、百間堀に築かれた石垣に使われていた石を用いています。

 福井駅東口には、「福居御城下絵図」がありました。

 

 この図は、福居御城下絵図(貞享2年(1685)、松平文庫 福井県立図書館保管)を下図にして、現在の市街地を白線で示し、公共機関、神社、大通りなどの名称を記入したものです。

 

 福井城があった場所には、現在県庁が入っています。今回、その様子は見ませんでしたが、次回にでも改めて見てこようと思っています。

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