貴重な当時の体験話を聞けた、「東京空襲写真展」

 2月25日(水)から東京都江東区にある東京大空襲・戦災資料センターで、「東京空襲写真展」が開催されています。

 東京の区部が被害を受けた空襲は60回をこえ、死者が出た空襲は56回、約10万5,400人の遺体が確認されているそうです。罹災者は約300万人、罹災面積は約140km2、区部の市街地の約50%、区部全体の面積の約25%に当たるそうです。

 写真展は、1,400点の写真のうち、約130点の写真が展示されているそうで、
①1942年4月18日:初空襲(ドゥーリットル空襲)(品川区、荒川区などが爆撃された)
②1944年11月27日:原宿・砂町空襲
③1944年11月29~30日:神田・日本橋・浅草空襲
④1944年12月3日:杉並・練馬空襲(14tの爆弾、6tの焼夷弾)
⑤1945年1月1日:神田空襲
⑥1945年1月27日:銀座空襲(182tの爆弾)
⑦1945年1月28日:本郷・駒込空襲
⑧1945年2月17日:砂町空襲
⑨1945年2月19日:千駄ヶ谷へのアメリカ軍機墜落(386tの爆弾)
⑩1945年2月25日:都心・下町空襲(411tの焼夷弾)
⑪1945年3月4日:巣鴨・駒込・目黒空襲(532tの爆弾)
⑫1945年3月10日:下町大空襲(1,665tの焼夷弾。焼死・窒息死・水死・凍死など、9万5,000人を超える方が亡くなった)
⑬1945年3月31日:四谷空襲
⑭1945年4月1日:戸塚空襲
⑮1945年4月2日:武蔵野・練馬空襲(1,089tの爆弾)
⑯1945年4月4日:立川・蒲田空襲(立川で129tの爆弾、品川で490tの爆弾)
⑰1945年4月13~14日:城北大空襲(2,038tの焼夷弾、82tの爆弾)
⑱1945年4月15日:南部大空襲(754tの焼夷弾、15tの爆弾)
⑲1945年5月24日:城南大空襲(3,646tの焼夷弾)
⑳1945年5月25~26日:山の手大空襲(3,258tの焼夷弾、4tの爆弾)
㉑1945年8月2日:八王子空襲(1,593tの焼夷弾)
㉒1945年8月10日:板橋空襲(320tの爆弾)
(年月日:空襲(投下された爆弾など))
で構成。その他には、雑誌やいのちの被災地図、ビデオ映像などが展示されていました。

 展示を見ている途中、3月10日の東京大空襲を体験した方の当時の体験した話を聞く機会がありました。まずは、東京大空襲がどんなものだったかということで、編集されたビデオ映像を見て、その後に体験した話を聞きました。
 その体験者の話はこんな感じでした。

 3月10日の東京大空襲は、0時8分から始まり、火災がようやく沈下したのが、5時ぐらいだったそうです。約10万人が亡くなったとされるそうです。火のなかったところがないくらいだったそうです。
 爆撃が行われたのは、木造の家が立ち並ぶ人口密集地。工場はあったが、大きな工場はなく、下請けの工場ばかりで、当時の軍需産業の底辺を担う労働者の街だったそうです。
 3月10日以前までの空襲は昼の空襲だったそうですが、3月10日以降は夜の空襲になったそうです。
 家族で逃げる中、火の粉の風がすごかったという。途中、家族とはぐれてしまい、火災だらけの中、見ず知らずの人が引っ張ってくれたが、途中で動けなくなり、その人が覆いかぶさるようにして守ってくれ、他の人がさらに覆いかぶさるようになった。その間、その重さや熱に耐えるような状態の中、男性の「生き残る」の声が続いていたという。意識が飛んだりしながらも何とか生き延びることができたそうです。
 朝、父によりその覆われている状態から引っ張り出され、家族と再開することができたという。しかし、覆っていた人達(の多く)は真っ黒になった死体だったそうで、そうした形で助けられたそうです。
 家族で家に向かう最中は、真っ黒になった死体が続いていたそうで、そうした死体を踏まないように歩いて家に向かったそうです。

 体験者の話は生々しくもあり、戦争の深刻さや悲惨さが伝わってくるものでした。

 この写真展では、警視総監から特別の指示を受けて、警視庁カメラマンの石川光陽氏が撮影した東京空襲写真と、陸軍参謀本部のもとで写真宣伝物を制作するとともに、陸軍の記録写真を撮影していた東方社のカメラマン菊池俊吉氏、林重男氏、後藤種吉氏が所蔵していた東京空襲写真とのちの、初公開のものを含めて、主なものを展示します。
 東京大空襲・戦災資料センターでは、東方社や日本写真公社の記録写真についての共同研究を立ち上げ、東京空襲被害写真の発掘と内容の解明に取り組んできましたが、今回写真を所蔵されているカメラマンのご遺族のご協力も得て、この写真展の開催が可能になりました。
 展示する空襲被害写真には、初空襲(1942年4月18日)、銀座空襲(1945年1月27日、下町大空襲(1945年3月10日)、山の手大空襲(1945年4月13~14日、15日、5月24日、25~26日)、八王子空襲(1945年8月2日)など、主な空襲がすべて含まれています。これらの写真からは、アメリカ軍の東京空襲が軍需工場などの軍事施設のみでなく、教育機関、神社、寺院、教会、繁華街、商店街などの非軍事施設をも破壊し、住宅地を焼き払い、女性や赤ちゃんなどの民間人・非戦闘員を殺戮するという非人間的なものであったことを読み取ることができます。
 東京大空襲から70年にあたり、東京空襲の惨禍を見て、改めて戦争について考えていただきたいと思います。

(案内より)」

 

 

 

 写真展は4月12日(日)まで開催されており、ないといわれていた写真もあるそうです。開館しているのは水曜日から日曜日となっており、12時から16時まで(3月9日(月)、10日(火)は開館)の開館となってます。

 

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