太田道灌が勝利を祈願した道灌杉があった「沼袋陣屋」(上)

 西武新宿線「沼袋」駅から歩くこと約10分で、氷川神社があります。この神社には、かつて、城郭(陣屋)「沼袋陣屋」(東京都中野区)があったとされるそうです。

 

 文明9年(1477年)に長尾景春の乱が起きると、扇谷上杉氏の重臣・太田道灌は、景春に同調した豊島泰明が籠もる平塚城を攻撃。石神井城にいた泰明の兄で、豊島氏の当主・泰経が救出に向かったため、道灌は沼袋付近で「江古田・沼袋の戦い」で迎え撃ちました。
 その時に、道灌が陣を張ったのが氷川神社だとされているそうです。

 

 

 

大鳥居再建記念碑

  雲に聳える高千穂の 高根颪に草も木も 靡き伏しけん大御代を 仰ぐ今日こそ楽しけれ

明治7年に制定され、国の誕生日を祝う「紀元節」の名の下に永い間親しまれ、年配者にあっては思い出深い歌である。この紀元節は、初代天王の神武天王が即位した日として、肇国を寿ぐ祝祭日と制定され、長期に亘って国民の間に定着してきたが、終戦後の昭和23年に祝祭日から外され廃止された。これを憂えた人達が紀元節復活運動を起こし、幾度かの法案の上程、審議を経て漸く昭和41年に「建国記念の日」と改称されて再び国の誕生を記念する祝祭日の登場を見る事が出来た。昭和42年2月11日に、初めての「建国記念の日」を祝う各種の祝賀行事が全国的に繰り広げられ、当社も呼応して関係者一同議を重ね、裏参道に建国記念の日制定記念と銘打って石造大鳥居を建立した。爾来、多くの参拝者を迎え入れ、神域の佇まいの上に大きな役割を果たしてきたが、平成23年3月11日の東日本大震災により、惜しくも倒壊の難に遭った。早速、大鳥居再建の気運が内外より盛り上がり、併せて境内耐震・整備事業推進の名を下に募金活動を展開し、多くの募財の献納を受け、翌年5月7日待望の鋼鉄製大鳥居を威容高々と再建する事が出来た。誠に有難く、感謝の限りに存じます。
ここに当初の募金要項に従い、奉賛者名及び奉賛金別の件数を掲げ校正に亘りその徳を顕彰いたします。

 「三本願い松 さんぼんねがいまつ」がありました。

 古来より
「悪しきことはスギ去れ、願い叶うをマツ」と杉の木に願いを掛けて、不運・災難から逃れ松の木に幸福を願うと、必ず叶うと信じられてきました。
豊かな森がいつも身近にあった我々日本人には自然の恩恵や営み、特に木に宿る魂に対する謙虚な姿勢がありました。
「三本願い松」に思いを託し、大神さまのお陰を戴き健康で豊かな日々をお過ごし下さいますよう祈念申し上げます。

 氷川神社には遺構は残っていませんでしたが、境内には道灌が戦勝を祈願したとされる「道灌杉」のあったとされる場所がありました。

 この柵内の地面の僅かに姿を○○○(見えなかった)根株は、かつて道灌杉と呼ばれていた御神流のなごりです。この木がそびえたっていた当時の写真を見ると、高さ約30mに達し、樹齢数100年になると思われる巨樹でした。また、幹のまわりには、しめ縄をめくらしていましたが、おしくも昭和19年頃、枯れてしまいました。
 当神社の御神祭は須佐之男命で、正平年間(1346~1370年)の頃、武蔵国の一の宮である埼玉県大宮市の氷川神社から分霊をここに奉祀したのが始まりです。
 文明9年(1477年)4月、大田道灌と豊島泰経が江古田が原・沼袋で戦闘を交えたのは、当神社から新青海街道あたりにかけてのことであったと推定されます。その時、大田道灌は、社殿の前に杉の苗木を植え、勝利を祈願したのが、この道灌杉である、と伝えられています。

 七福神がありました。

 

 周辺はやや高台になっており、住宅街になっていました。

 駅の方には、商店街があり、北にしばらく行くとちょっとした丸山塚公園がありました。

 

(続く)

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