かつては城塞があったとされる「本郷城」~小石川庭園へ(上)~

 本郷城があったとされる東京大学周辺(東京都文京区)を後にして、小石川後楽園の方に向かいました。

 

 

 文京シビックセンター辺りに、礫川公園がありました。付近には、「文京区と春日局」の像がありました。

 文京区「春日」の地名は 春日局が 乳母として仕えた3代将軍徳川家光より拝領した土地に由来し昔は春日殿町とよばれていました。
 また 春日局の菩提寺麟祥院が湯島にあり 文京区は 春日局と歴史的に深い縁があります 昭和64年1月(1989年)より一年間NHK大河ドラマ「春日局」が放映されました 文京区では これを契機として 「文京区春日局推進協議会」を設立し 区民の皆様と共に 区内の活性化 地域の振興を図ることを目的として種々の事業を推進しました ここに本事業を記念して春日局像を建立することにいたしました。

 そして、公園付近の坂は、「富坂」(春日一丁目と小石川二丁目の間)と呼ばれていたそうです。

 「とび坂は小石川水戸宰相光圀郷の御屋敷のうしろ、えさし町より春日殿町へ下る坂、元は此処に鳶多して女童の手に持たる肴をも舞降りてとる故とび坂と云」と『紫一本』にある。鳶が多くいたので、鳶坂、転じて富坂となった。
 また、春日町交差点の谷(二ケ谷)をはさんで、東西に坂がまたがって飛んでいるため飛坂ともいわれた。そして、伝通院の方を西富坂、本郷の方を東富坂ともいう都内に多くある坂名の一つである。
 この近く礫川小学校裏にあった「いろは館」に島木赤彦が下宿し、“アララギ”の編集にあたっていた。
  「富坂の冬木の上の星月夜 いたくふけたりわれのかへりは」
   島木赤彦(本名 久保田俊彦 1876~1926)

 さらに、この辺りは「旧 小石川町」(昭和39年までの町名)だったそうです。

 京都聖護院門跡道興准后が、『廻国雑記』(文明18年・1486年)に次のことを書いている。
 「ここ(上野忍岡)を過ぎて小石川と言へる所にまかりて、我方を思ひ深めて小石河 いつをせにとかこひ渡るらん」
 また、『江戸砂子』(享保17年・1732年)に、「小石多き小川が幾流もある故なり・わけで伝通院の後の流、ねこまた橋の川筋小石川の濫觴なり」とある。
 むかし、千川(小石川)、江戸川(神田川)や周囲の高台から流れた細流が、現在の後楽園一帯で合流していた。これらの川は砂や小石が多かったので、この辺を小石川村と呼んだ。明治5年、小石川町とした。

 

 小石川後楽園へ向かっていると、壁に江戸城外堀の石垣を再利用している石積がありました。

江戸城外堀石垣を再利用した石積

 左手築地塀の石垣の一部(プレート設置個所)は、江戸城鍛冶橋北側外堀趾(千代田区丸の内一丁目)から出土した石垣の石材を使い、本園の作られた江戸時代初期(17世紀初頭)の「打ち込みハギ」と呼ばれる 石積の技法で再現しました。
 石才には、備中(岡山県)成羽藩主山崎家の山(山に○を囲む)をはじめ石垣を築いた本名を表す「刻印」や石割の際の「矢穴」が残っています。数字は発掘調査で出土したとき付けた番号です。

 地面には再利用されている範囲が示されていました。

(続く)

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