かつては城塞があったとされる「本郷城」~東京大学の門(上)~

 本郷三丁目といえば、東京大学(東京都文京区)をイメージしてしまいます(笑)。

 そして、日本一の大学といえば、東京大学があがってくるでしょう。その東京大学がある場所には、かつて「本郷城」があったとされています。

 かつて城塞のようなものがあったとされ、豊島氏の城だったとされる説と、後北条家の家臣・太田康資(江戸城で有名な武将・太田道灌のひ孫)が所領していたとされる、太田康資の城があったとされる説があるそうです。

 東大の赤門は有名ですが、江戸時代に加賀藩前田家の上屋敷の名残りの一つだそうです。

 

赤門

文政10年(西暦1827年)加賀藩主前田齊泰にとついだ11代将軍徳川家齊の息女溶姫のために建てられた朱塗りの御守殿門であり、重要文化財に指定されています。

 本郷城のあったとされる東京大学周辺を歩いてきました。といっても、東大をぐるっと回ってきた感じになりました(笑)。

 東大をぐるっとまわっていると、様々な地点で東大構内に入る門を見かけました。赤門は先ほど書いたので、それ以外の門を書いていきます。

 

 

 地震研究所がある門。

大正14年11月14日に地震研究所設立の官制が施行され、安田講堂裏に建物がつくられることとなった。昭和2年3月に着工し、翌3年3月に竣工した。建物は地下2階付きの鉄骨鉄筋コンクリート構造2階建てで、建築学科教授内田祥三先生が設計されたものであった。大地震が襲来しても建物内で観測や研究が出来るようにと、当時の標準設計震度の2倍の計算で設計された。正面玄関の壁面には日月の凹みの模様があり、また、玄関に近い西壁面には地震計を型どった石飾りがあった。これらはやはり建築学科の岸田日出刀先生の手になったものである。地震研究所が昭和38年から45年にかけて現在の場所に順次移転した後、安田講堂裏の建物は他部局が使用していたが、理学部の増築計画により昭和56年11月取り壊されることとなった。地震研究所発足から40有余年、黎明期における地震学研究の輝かしい業績を生み出した旧地震研究所の建物を永く記念すべく、岸田先生の手になる石飾りの地震計と日月を切り取り組合せてここに建立する。

 坂になっていたり、住宅街になっていたりと。

 

(続く)

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