「いのちの被災地図」から住民ごとの当時の状況を見る、企画展「東京大空襲・七十年」

 東京都墨田区向島にありますすみだ郷土文化資料館で、企画展「東京大空襲・七十年」が開催されています。

 

 東京大空襲から3月10日で70年となります。企画展は、住民はどのように逃げ、亡くなったのかを町別に示した地図を作成し、計約65点の写真や体験画などが展示されていました。

 同館は、2012年から、東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)と協力し、約3万人の犠牲者の氏名や年齢、性別、死亡場所、仮埋葬地などが記された「都内戦災殉難者霊名簿」(霊名簿)の研究を進めてきたそうです。その一環で、犠牲者の住所と亡くなった場所を矢印で結び、地図上に示した「いのちの被災地図」を作成。昨年3月に同センターで公開。
 企画展では、地図に示した犠牲者の避難経路の直線距離と方角を計測してデータ化し、空襲当日の気象状況や消防の記録、生存者の証言、写真、体験画と組み合わせて、「その時、何が起こったのか」を読み解こうとしたもの。

 1945年3月10日の東京大空襲は、一晩で約10万人以上の人々が犠牲になったそうです。遺体の中でも着衣の名札から判明したのは約8千人、わからなかったのは9万人以上になるそうです。
 企画展は、「いのちの被災地図」が展示されており、住んでいた住所と死亡場所を線で結び、火災など状況を含めて分析。住民ごとの避難傾向を分析したものでした。
 地区ごとでは、「隅田川・言問橋」「本所区石原町と二葉国民学校―現墨田区石原付近―」「本所区菊川町と菊川橋―現墨田区菊川付近―」「城東区亀戸町と亀戸駅―現江東区亀戸付近―」「本所区太平町―現墨田区太平付近―」を分析したもの。
 展示は、M47焼夷弾や絵、地図や写真などもありました。説明はお子様用もあり、わかりやすいよう工夫がされていました。

 2F展示室は、東京空襲の体験画やB29の通信装置、絵に描かれた場所を地図で示したものが展示されていました。

 本年3月10日は、東京大空襲から70年目の節目の年に当たります。そこで資料館では、『都内戦災殉難社霊名簿』(以下『霊名簿』)という東京空襲に関わる新資料の研究成果から明らかになってきた、空襲被害の新事実を紹介する企画展を開催します。
 『霊名簿』とは、東京都建設局公園緑地課と(公財)東京都慰霊協会が、公園等に仮埋葬された東京空襲犠牲者の改葬事業終了後、1951年から1955年頃にかけて、遺族の申告や犠牲者の着衣に記された名札の記録をもとに作成したもので、犠牲者約3万人の氏名・年齢・性別・死亡場所・仮埋葬地などの情報が記されています。東京空襲による被害は、戦後、十分な調査がなされなかったため、死者の数ですら約11万人以上というあいまいな数値しか明らかになっておらず、詳細な統計データはほとんど存在しません。したがって『霊名簿』は、東京空襲の人的被害の詳細な実態を明らかにする上で、類例のない貴重な資料といえます。
 『霊名簿』は2001年に当館とNHKの共同調査により発見され、それ以来、江戸東京博物館、豊島区立郷土資料館、東京大空襲・戦災資料センターとともに共同研究を進めてまいりました。特に2012年以後は、文部科学省の科学研究費の助成を受けた戦災資料センターの『霊名簿』研究プロジェクトに加わり、『霊名簿』をデータベース化し、空襲犠牲者の空襲時における全体的な避難傾向を把握するため、記録された犠牲者の住所と死亡場所を矢印で結び地図上に表した「いのちの被災地図」を作成しました。
 今回の展示では、被災地図に表された3月10日の大空襲時における犠牲者の避難行動のもつ意味を、空襲火災の発生・延焼状況との関わりを中心に、写真・絵画・証言記録などの関連資料と合わせ、新たな方法論を用いて検討し、大空襲の人的被害の実態と被害拡大の要因について「町」別に読み解いていきます。

(案内より)」

 

東京空襲のはじまり

 太平洋戦争中、アメリカ軍による東京に対する空襲は、約130回に及んだ。最初の空襲は、1942年(昭和17年)4月18日の空母ホーネットから飛び立ったB25による奇襲攻撃である(ドゥリットル空襲)。日本軍部は衝撃を受け、空母ホーネットの基地ミッドウエイ島攻略を意図するが敗北。
 これを機に日本軍は後退を続け、1944年(昭和19年)7月にはミクロネシアのサイパン島を米軍に奪取され、ここに日本本土空襲のための29の基地が建設されることになった。
 1944年(昭和19年)11月24日、初めてサイパンを飛び立ったB29の編隊が、都下武蔵野町の中島飛行機工場を爆撃、以後、東京は恒常的にB29の空襲にさらされるようになった。
 そして東京は、現墨田・江東・台東区域を中心に死者10万人以上と言われる被害を出した、1945年(昭和20年)3月10日の大空襲の夜を迎える。

(資料より)」

東京空襲の推移と3月10日の大空襲

 東京空襲は、その戦略的性格からほぼ次の3期に分類される。
[第1期]1944年11月24日から1945年3月5日まで
 B29の編隊が白昼、高い高度から航空機工場(主に航空機発動機工場)を目標にして、目視による精密爆撃をおこなった時期。
[第2期]1945年3月10日から5月下旬まで
 市街地を焼夷弾で焼き払うことを目的に爆撃を行った時期。3月10日の東京下町地域を中心にした大空襲は、従来の戦略を根本的に転換、夜間、編隊を組まないB29が、低高度からレーダーを用いて焼夷弾を投下する焦土作戦を実施した(爆撃高度グラフ参照)。
[第3期]1945年6月中旬から8月15日まで
 全国の中小都市を対象にした焼夷弾爆撃の時期で、東京では八王子(8月2日)等の周縁部がこの大きな被害を受けた。

(資料より)」

 企画展は5月17日までで、月曜日と第4火曜日は休館。入場料は一般100円となっています。

 

 

 

 

 3月7日(日)にはギャラリートークと平和祈念コンサートが開かれるみたい(申込み必要)、8日(日)は江東区文化センター・ホールで「東京大空襲70年 東京大空襲を語り継ぐ集い」(先着定員500名)が開催されるみたいです。

 東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)では、2月25日(水)から4月12日(日)まで「東京空襲写真展」が開催されているそうです。

 

 ちなみに、2F展示室では、特集展示「資料館とひな祭り」も開催されていました。

 

 

 1Fでは、墨田区に関する歴史の展示がありました。数々の空襲で、本所区96%、向島区57%が焦土とかしたそうです。人口は戦前の25%減少しましたが、戦後は本所区と向島区は統合され、墨田区が誕生したそうです。そして、1949年(明治24年)に、人口21万人を超えたそうです。

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