広大な公園で散策が楽しめる飛鳥山公園にあったとされる「飛鳥山城」

 「王子」駅近くには飛鳥山公園(東京都北区)があります。

 この飛鳥山公園は、桓武平氏の流れを汲んだ秩父党の出である豊島一族の滝野川氏の居城「飛鳥山城」があったそうです。

 

 城跡としての碑などはなく、飛鳥山の碑がありました。

 

飛鳥山碑

 八代将軍徳川吉宗は飛鳥山を整備し、遊園として一般庶民に開放した。これを記念して、王子権現社別当金輪寺の住職宥衛が、元文2年(1737年)に碑を建立した。
 石材は、紀州から献上されて江戸城内滝見亭にあったものである。碑文は、幕府の儒臣成島道筑(錦江)によるものである。篆額は、尾張の医者山田宗純の書である。建立にいたる経緯については、道筑の子和鼎(かずさだ)龍洲)の「飛鳥山碑始末」に詳しい。碑文の文体は、中国の五経の一つである尚書の文体を意識して格調高く書かれている。吉宗の治政が行き届いて太平の世であることを喧伝したものと考えられる。
 碑は、総高218.5cm、幅215cm、厚さ34.5cm。元享年中(1321~24年)に豊島氏が王子権現(現在の王子神社)を歓請したことが記されている。続いて、王子・飛鳥山・音無川の地名の由来や、土地の人々が王子権現を祀り続けてきたことが記される。最後に、吉宗が飛鳥山に花木の植樹を行い、王子権現社に寄進した経緯などが記される。異存体や古学を用い、石材の傷を避けて文字を斜めにするなど難解であるが、飛鳥山の変遷を理解する上で重要な史料である。

飛鳥山の碑

この碑には 熊野の神々のこと 平安時代の末頃よりこの地方を開拓した豊島氏が熊野の神を迎え、地名を熊野に模して飛鳥山とか王子或は音無川と呼ぶようになり、土地の人々が年経ても変りなくお祭りしたこと 花鎮めの祭りのさま 星霜進に移り寛永11年(1634年)将軍家光公が王子権現の社を新たにし飛鳥の社をそこに遷したこと 更に103年経た元文2年(1737年)、将軍吉宗公が飛鳥山を王子権現に給わり 北の地の整備を命じ音無川を浅い流れをよくし 山には花木を植え江戸庶民の行楽の地となし 付近の道路を良くし農耕の使を計るなどした為に豊年続き神栄え人々吉宗公の徳を募ったことを千年の後までの艦としてこの医師の録したと刻まれている。

 公園の背景が書かれているものがありました。

 飛鳥山公園は、明治6年に定められたわが国最初の公園の一つです。
 この公園のある台地は、上野の山から日暮里、田端、上中里と続いている丘陵の一部です。
 このあたりは、古くから人が住んでいたらしく先土器時代(日本で最も古い時代)、縄文時代、弥生時代の人々の生活の跡が発見されています。
 ここを飛鳥山と呼ぶようになったのは、昔この丘の地主山(現在の展望台の所)に、飛鳥明神の祠が祀られていたからと伝えられています。
 江戸時代の中ごろ元文(1737年)、徳川八代将軍吉宗が、この地を王子権現に寄進し、荒地を整備して、たくさんの桜や松、楓などを植えたので、それからは桜の名所として有名になり、附近に茶屋などもできました。その説明は、切手の大きな石碑に詳しく刻まれていますが、この文章がとても難しく、すでにその当時から読み難い石碑の代表になっていました。
 飛鳥山のお花見は、向島とともに仮装が許されていたので、まるで落語にでてくるような仇討の趣向や、返送などのためにたいへんな賑いでした。また、東側の崖からは、カワラケ投げも行われ、土皿を風にのせて遠くまで飛ばす遊びも盛んでしたが、明治の末になって、危険防止のために禁止されました。
 この山は、東から西へのなだらかな斜面でしたが、道路拡張のためにせばめられ、さきに中央部につくられていた広場の跡地に噴水ができ、夜は五色の光に輝いています。

 ここには、旧渋沢家飛鳥山邸があったそうです。

旧渋沢家飛鳥山邸

 飛鳥山公園の南側一帯には、日本の近代経済社会の基礎を築いた、渋沢栄一の自邸が所在していました。現在、敷地は飛鳥山公園の一部になっていますが、旧邸の庭園であった所は「旧渋沢庭園」として公開されています。
 渋沢栄一は明治34年から昭和6年に亡くなるまでの30年余りをこの自邸で過ごしました。当時の渋沢邸は、現在の本郷通りから「飛鳥山3つの博物館」に向かうスロープを上がった付近に出入り口となる門があり、邸内には、和館と洋館からなる本邸の他、茶室や山形亭などの建物がありました。残念ながらこれらの建物は昭和20年の空襲で焼失してしまい、大正6年竣工の「晩香廬」と大正14年竣工の「青淵文庫」、この2棟の建物のみ「旧渋沢庭園」内に現存しています。「晩香廬」は、渋沢栄一の喜寿の祝いとして、「青淵文庫」は傘寿と子爵への昇格の祝いとしてそれぞれ贈呈されたものです。どちらの建物も大正期を代表する建築家の一人で、清水組(現清水建設)の技師長を務めた田辺淳吉が設計監督しています。当時の世界的なデザイン・美術の運動の影響を受けた建築であることが評価され、平成17年、「旧渋沢家飛鳥山邸(晩香廬・青淵文庫)」として2棟が重要文化財(建造物)に指定されました。

 飛鳥山公園は広く、散歩にも最適で王子の街並みを楽しめるスポットもあります。

 

 

 

 子供達の遊び場もある広々とした公園でした。

 「あすかパークレール・山頂駅」というのがあって、ここから乗り物で移動することができるみたいです。

 滝野川城から飛鳥山城へと向かう途中には、公園がありました。

 飛鳥山公園周辺をぶらついていると、ちょっとした歩道橋がありました。上へあがる部分が螺旋(?)のようになっていて面白かった。

 飛鳥山公園付近には、路面電車につながる線路があっていい感じでした。

(続く)

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