戦国時代に地域の領主だった牛込氏の居城「牛込城」(跡)

 飯田橋駅から歩くこと、約10分にある「牛込城」跡を見に行ってきました。
 神楽坂にある光照寺の付近はかつて小田原の後北条家に仕えた牛込氏の居城跡があったそうです。

 城主だった牛込氏はもともと群馬県の赤城の領主だった大胡氏を始めとし、南関東への進出後、牛込の姓を名乗るようになったそうです。後北条家が滅んだ後は、牛込氏は徳川家康につき、その際にこの牛込城は取り壊しになったそうです。

 案内板で、

 光照寺一帯は、戦国時代に地域の領主であった牛込氏の居城があったところである。
 堀や城門、城館など城内の構造については記録がなく、詳細は不明であるが、住居を主体とした館であったと推定される。
 牛込氏は、赤城山の麓上野国(群馬県)勢多郡大胡の領主大胡氏を祖とする。天文年間(1532~55年)に当主大胡重行が南関東に移り、北条氏の家臣となった。天文24年(1555年)重行の子の勝行は、姓を牛込氏と改め、赤坂・桜田・日比谷付近も含め領有したが、天正18年(1590年)北条氏滅亡後は徳川家康に従い、牛込城は取壊された。
 現在の光照寺は正保2年(1645年)に神田から移転したものである。
 なお、光照寺境内には新宿区登録文化財「諸国旅人供養碑」「便々館湖鯉鮒の墓」などがある。

 光照寺の前の道は「地蔵坂」がありました。

 この坂の上に光照寺があり、そこに近江国(滋賀県)三井寺より移されたと伝えられる子安地蔵があった。それに囲んで地蔵坂と呼ばれた。また、藁を売る店があったため、別名「藁坂」とも呼ばれた。

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