比較的分かりやすく資本論を、『いま生きる「資本論」』(佐藤 優)

 「資本論」を分かりやすく読める一冊でした。

すべてはこの一冊で読み解ける。
ビットコイン、佐村河内騒動、アベノミクス……
人生を楽にする白熱&抱腹絶倒講座!

本書は、「『資本論』は革命の書ではない」と喝破する佐藤優の、世界の解体新書であり、人生の指南書である。

目次より①恋とフェチジスム
②どうせ他人が食べるもの
③カネはいくらでも欲しい
④われわれは億万長者になれない
⑤いまの価値観を脱ぎ捨てろ
⑥直接的人間関係へ

爆笑と知的興奮に包まれた超人気講座
「一からわかる『資本論』」の完全活字化!

(本より)」

 簡単に分かるとまではいかないまでも、「ちょっとどんな感じなのか」という全体の取っ掛かりはわかるような内容でした。
 佐藤氏の言葉で分かりやすく解説しているので、読みやすい内容になっていました。

 興味深かった内容は、

・国際政治に影響を与えています。パク・クネさんはなんであんなに日本が嫌いなんですか?
 安倍さんが輪転機を回すとどういうことになるか。円は弱くなり、日本から輸出がしやすくなります。その分ウォンは高くなります。アベノミクスのおかげで、ヒュンダイもサムスンも売れなくなる。韓国から見れば、日本は為替ダンピングをしているように見える。

・再びユーロ危機が起きた時、今ユーロに集まっているお金は、円かドルかどちらに逃げます。円に逃げてくる。
 株価は下がり、安倍さんの支持率も下がり、大変な状態になる。安倍さんは、自分にとって一番コアな支持層である右派を固めておこうという思いがあるのでしょう。それゆえの靖国参拝であり、憲法解釈への変更による集団的自衛権行使の容認などの右派向けの政策である。

・本は読む、ボールペンは書く、水は飲む。これが使用価値です。使用価値はモノそれぞれに違います。
 価値の方は、『はじめてのマルクス』は1,300円、ボールペンは70円、水は120円という具合に、貨幣へと通約できる共通性のことです。我々消費者にとって大事なのは使用価値です。
 売る側の人間にとっては、使用価値は関係ない。「私はこのボールペンを売るけれども、使いません」というのが売り手です。<商品には手を出すな>って言葉がありますが、あくまで商品は売り手が使わず、他人へ売るもの。

・講座派。明治維新によって日本は絶対主義天皇制の支配に置かれるようになった、というもの。封建制は江戸時代より強まった、という見方。絶対主義天皇制における権力とは、地主、天皇制官僚、軍事官僚がいて、その頭に天皇がいるというモデル。革命運動としては、まずこの天皇制を打破し、日本を資本主義社会、市民(ブルジョワ)社会にしないといけない。そんなフランス革命のようなことを目指すのが、一段階目の革命。そして資本主義になった日本で社会主義革命を起こす。こういう二段階革命で行くというのが講座派の考え方。

・時代はぐるぐる回りますので、教養主義的なものを意外と大切にした方がいい
 ユダヤ教のタルムード。タルムードは<表のユダヤ教>。もう一つ別に(裏のユダヤ教>がある。それがカバラ思想です。合理的に人間が物事を考えていると、その分非合理な世界ができてきて、どこかで調整をつけないといけなくなる、というのがカバラ思想。

・労働力商品の価値、つまり資本家によって労働者に支払われる賃金には三つの要素があります。一番目は、衣食住と娯楽の費用。モノを食べて、家を借りて、服を着て、気分転換にちょっとしたレジャーをしてエネルギーを蓄え、次の一か月も働けるようにする。二番目は次代の労働者の再生産をする費用。結婚し、子供を持って、育てていく、家族を養っていく。これができないと労働者階級の再生産はできません。三番目は、技術革新についていくため、労働者自身が教育を必要とする、そのための学習費用

・自分で必要なものを自分で作るのだったら、自分に毒になるもの、有害になるものは作らない。けれども、作っているのは他人にとって必要なものに過ぎず、自分の目的はカネを得ることなのだから、手抜きも生じるし、少しでも原価を抑えられるならば多少健康に有害なものでも平気で使ってしまう。

・資本主義の「環境制約性」。環境問題は、資本主義が暴走する際のストッパーになりうる。環境は、つまり土地も水も空気も、資本によっても労働によっても作り出せない。だから環境を持っている者は、環境を資本主義的に使われることの対価として、資本家の剰余価値の一部を分与される仕組みになっている。
 労働者の賃金は生産論で論じられる。生産の際に、労働力を再生産するためにはどれくらいの賃金ならいいかが決まってしまう。会社がいくら儲かっても、それが労働者へ流れて行くということは原理的にない、というのが『資本論』の考え方。資本は生産過程において、商品化された労働力を得て、商業資本となっていく。そこのところで既に賃金は決まっている。
 利益の分配というのは、資本家同士(含、地主)でされるもの。新しい機会を作っている資本家への分配、あるいは金融資本の人と産業資本の火との間の分配、さらに土地所有者との間の分配。労働者は分配とは関係がない。これが『資本論』の基本的な枠組み。

・本質において、国家というものはくまで社会の外側にあって、社会から収奪していく存在。

・景気循環の中で、賃金というのは上がることもあれば下がることもあります。資本主義が行き詰まることはあります。それは恐慌という形で現れます。大量の商品が生産されているのに、商品が常に貨幣になるとは限りません。まったく売れない時もあって、それがやがて恐慌に至ることもある。すると労働者に商品を買うカネがなくなり、貧困という状況は生じる。イノベーション、新技術の開発によって基本的に乗り越えていくことができる。労働者が窮乏化する必然性はない。資本主義は爆破されず、崩壊もせず、あたかも永続するかのごとく生き延びていくのだ、というのが宇野の考え方。

・宇野は、労働力が商品化された状況では、景気循環の中で賃金が変わってくる、と言う。資本主義は儲けるための運動なのだから、生産をどんどん拡大していく。そうなると、生産に合わせて機械や原材料もどんどん増やしていけるのだけれども、労働力だけは任意に増やすことができない。となると、市場の中で賃金が上がってくる。ある段階まで行くと、資本家が儲からないほど、労働者の賃金が高騰してしまう。そこから生まれてくるのが恐慌です。これは資本の過剰で起きる。投資するお金はたくさんあるのだけども、もう設ける先がなくなってしまう。
 恐慌になったらどうするか、誰か頭のいい発明家が、イノベーションを起こす。より少ない労働力で同じ商品を作ることができるようになる。あるいはイノベーションによって、今まで全くない形での需要を生み出すことができる。恐慌を経ることでイノベーションを起こすという形で、資本主義はあたかも永続するかのごとく続く。いったん労働力の商品化が起きてしまったならば、それはずっと続くのだ、というのが宇野の理屈。

・『資本論』の分配論は、資本家間の利潤の分配、あるいは地主に地代を払うといった分配で、労働者は分配に関係ありません。つまり、資本がいくら稼いでも労働者には分配されません。労働者はどうやっても億万長者にはなれないようにできている。

・「俺は誠意があるんだ」と口で言っている人について、それだけで誠意と見なせるのか、あるいは何かの形で表さない誠意と見なせないのか、という問題。最終的に、人間は形を必要とする、というのがマルクスの考え。だから、物に頼っていく。金という形が必要になっていく。

・機械の比率が大きくなると、労働力の比率は小さくなる。そうすると利潤率自体は減っていく。ところが利潤率が減っても、資本の規模を大きくすればいい。例えば一万円投資して利潤率が50%、つまり5,000円儲かっていた。ところが利潤率が50%から1%になってしまったけれど、投資する金額を10億円にすれば、1%でも1,000万の利益が出る。利潤率が低下する中においても資本の規模が拡大することによって、利潤は増大していく。これが『資本論』の論理。

・貨幣形態というのは、どうやってカネを稼いでいるのか、我々一人ひとりがどういう労働に就いて、社会的にどんな意味のある商品を作っているのか、それらを全部消し去ってしまう魔法の力がある。

・我々の制約条件をわからないといけない。資本主義社会のシステムを知っておかないといけない。資本主義の論理と反することをやろうとしても、長続きはしません。ただ、否定はできないにしても、突き放して見ることはできる。人間は限界がわかれば恐れは出てこないもの。

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