日本のジャーナリズムのおかしいをわかりやすく指摘、『報道災害【原発編】 事実を伝えないメディアの大罪』(上杉 隆,烏賀陽 弘道)

 現在のジャーナリズム、マスコミの問題点をわかりやすく指摘している一冊。

未曾有の国難が続く中、政府・東電の情報隠蔽に加担した記者クラブ報道の罪が次々と明らかになりつつある。「格納容器は健全に保たれている」「ただちに健康に影響する値ではない」という言葉を何の疑問もなく垂れ流し、結果として多くの人々を被曝させた罪。放射能汚染水の海洋投棄をやすやすと看過し、日本を犯罪国家に貶めた罪。記者クラブメディアが国を滅ぼしたのだ。この焼け跡で、日本人が自らを守り、生き抜くために手に入れるべきメディアリテラシーとは何か。
(本のあらすじより)」

 現在の日本の報道の問題点を鋭く指摘し、わかりやすく展開していました。
 3.11の東日本大震災により原発事故が深刻になりました。そこから、報道の問題が改めて出てきたわけですが、著者はその問題について、鋭い指摘をしていました。
 内容はわかりやすい展開で読みやすいです。問題点をどうしていくか、今後の日本に大きく関わってくるとともに、私達・読者の情報リテラシーについて、どうしていくか、というヒントも盛り込まれていました。

 興味深かった内容としては、

・「政府高官が発言することそのもの」がニュースの一つだけど、政府高官がこう言ったっていうのは事実だから報じないといけない。でも、アメリカでは「それがそもそも間違いではないのか」っていうのが反省として出た。
→向こう(政府や政治家、取材される側)はプロパガンダとして言っているわけで、「俺がこう言えば書くだろう」ということも織り込み済みで記者団に話している。「それがそもそも報道が利用されるっていう悪いサイクルだったんじゃないのか」という反省が起こった。
 アメリカでは、「権力の言うことを疑う。そのまま記事にはしない」というハードルを、1960年代に通過している。

・自由報道協会の機能というと、カリフォルニア州の州政府記者協会と同じような役割に。
→「こいつはまともな記者なのか?」と取材先側が問い合わせてきた時に、カリフォルニア州の政府記者協会は「こいつは間違いない人物だ」とか「こいつは聞いたことがない」とか「こいつはよその州から来たんだけど、あっちでも書いているしこっちでも書いている」みたいなことを言う。つまり、記者かどうかを判断する機関にもなっている。
 第三者機関が会見に出る人を決める。「誰が記者か」を記者協会が発行する。

・ジャーナリズムの原則が守られていれば、メディアが何であるかは問題じゃない。
→インターネットであるか、紙であるかどうかは問題じゃない。

interestingなものを書いて、市民が「自分達の利益や関心(interest)に繋がっているんだ」と思わなければ、報道は市民との繋がりを失ってしまう。「面白さ」を求めないなら、学術の方にいけばいい。
→プロのジャーナリストが誰でも発信できるインターネット時代の中で存在意義を持っているとすれば、それは「面白さ」を持つこといかに全体のバランスを保っているか全体を見渡す力、ということが大切。

・本当は自分の取材の中の主観を入れていい。日本の報道は「警察によると○○であるとわかった」で終わってしまう。海外だと「警察が言うことが絶対に事実だということがわかったのか?」というところから取材がスタートする。
→「本当に実現できるのかな?」「どうしてそうなるのかな?」というクエスチョニングからスタートするのがジャーナリスト。通信社のようなワイヤーサービスならそれでいい。

・報道記者にどんな資質が大切なのか。「クエスチョニング(Qestioning)」と、「スケプティカル・シンキング(Skeptical thinking)」。
 スケプティカル・シンキングというのは「相手を疑う思考」のこと。

・「おかしい」と思っている会社側が設定しているルールのゲームで勝たないと、ゲームそのもののルールを変える発言権は与えられない。
→向こうの土俵に上がって、向こうのルールでゲームを必死にやっていると、いつの間にか順応して面白くなっちゃう。段々そのルールで強くなっていくから。もう後戻りできなくなってしまう。

・警察ネタっていう言葉自体は海外にもありますけど、日本とは意味が違う。日本だと「警察による発表を早く抜いてくる」こと。警察報道っていうのは「警視庁が何かを掴んだ」とか、「警視庁が犯人を絞った」という警察の視線と価値観からの報道のこと。
→例えば殺人事件の取材だったら、本来は「事件」のことを取材する。だけど日本では全員が「警察」を取材。取材している向きが違う。

・頑張っているんだけど、頑張っている意味と方向が違っている。そこ頑張ってもしょうがない。無意味。でも全員がそうだから無意味だと気付かない。

客観性とは何か、オブジェクティビティとは何か。報道は、「日本軍が勝ってほしいという願望」と「日本軍が勝ったか負けたかという事実」を混ぜて報道してはいけないこと。

・「タダの情報には理由がある」という感覚がわからない。「タダで質の悪い情報」と「有料で質の高い情報」に二極分化する。金を払えばそれなりのクオリティが担保されるけど、金を払わないものにはクオリティを求めてはいけないっていう前提の社会になっていくのでは。
→事故が起きた後に「何で言ってくれなかったんだ」と言われても「タダなんだから文句言うな」と。ニュースに価格階層性が出てきて、完全に商品化される。いわゆる「自由主義経済」。それは資本主義社会では当たり前のこと。

・アメリカでジャーナリスト達と話すと、自覚的な人は「報道と広告収入は両立しない」と公言している。
→報道を続けるには、ドネーション(寄付)でやるしかない。

・アメリカの記者達に、「紙からインターネットになっても変わらないジャーナリズムの原理って何だと思う」と片っ端から聞いてみた。
→答えは「フェアネス」「インディペンデンス(独立)」「オブジェクティビティ(客観)」。

・報道災害から身を守る一番の方法は、まず「疑う」ということ。世の中には100%絶対的に正しいことなんて存在しない。
→だから日本の新聞・テレビだけじゃなくて海外メディアや週刊誌、インターネットなどから多様な情報を得て判断する。

・一つの方法としては、そういう思考リテラシーが高い人の周りにいること。思考のフレームワーク、思考の方向は間違っていないと思う人を見つけて、その人のウェブサイトに行くなり、その人のツイッターを読むなりフェイスブックのフレンドになるなりして、ネットワーク上でもいいからその人の周りにいること。
→思考リテラシーの高い人、思考能力の高い人の周りにいること。つまり、「こっちの方向でこう考えればいいんじゃないか」という道しるべ、コーチ、ナビゲーターになるような人の周りにいること。

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