「普通」っていうのもすごいこと!

 学生の頃は、よく「特別な」とか「変わっている」ことをしたかった。「普通」ということは、どこか軽蔑のような感じまではいかないまでも、どこか「普通」なんて…みたいな感じでした。
 まぁ、若い頃はそういったことは、当然かもしれません。「普通」の人生なんて嫌だって。

 でも、学生から仕事をする社会人になって、東京にやってきて、仕事生活を歩んだ人生を進めている今は、「普通」ということへの視点が変化しました。
 学生の頃は、世の中を変えたいとか、大きな影響を与える存在になりたいとか、「自分はすごいんだ」といったことを目指して、「普通」の生活を送るなんて嫌だと思っていましたが、社会生活を経験していくと、「普通」の生活というものが、結構、難しいことだと感じました。

 もちろん、大きなことや特別なことをすることはすごいと思いますが、「普通」のことや生活を送ることもすごいことだと。
 自分の力で(でも、本当はいろんな人のつながりと助け合いでできていることなんですが)、生活や人生を送ることをやってみるとわかるかもしれません。仕事でモノになり、成果を出すことは難しいモノです。それだけではなく、何気ない生活を送ることの労力から、生活をする手続きなど、様々なことが人生の「普通」の生活だけでも項目は存在します。
 「普通」の生活をするためには、ある程度のお金が必要になってきます。その「お金」を得るためには、仕事をし、良い結果を出して、モノゴト(仕事)をクリアしていかなければなりません。世の中の全ては「お金」次第とはいいませんが、「お金」は大切だともいえます。
 それも、何気ないトラブルのない生活を望めば、仕事にしても生活にしても、悪いことはできません。悪いことをすれば、トラブルになり、衝突にもなり、生活や仕事をしていくうえでも、問題の壁となって襲ってきます。

 何か大きな壁にぶち当たった時とか、東京に上京して仕事を探している時とかの暗雲とした時とか、「普通」の大切さを味わったりしました。上京してしばらくして、仕事を探しつつも、なかなかその仕事のスタート地点の光が見えなくて、ちょっとブルーになっていた時のこと。夜、荒川の河川敷を散歩に行きました。その時、夜の灯りが灯る住宅街の風景を見ていると、その生活を送ることがまた、「難しいな~」って(笑)。同時に、そういう生活を送っている人は「すごいな」っと。
 でも、今ではこうして、仕事もしており、生活をしています。でも、まだまだ「普通」の生活をクリアしていないとも思っています。

 そう考えると、「普通」って簡単なようで、結構、難しかったりします。完璧な「普通」を目指すとしても、ものすごい項目のクリアが必要になってきます。まぁ、完璧な「普通」ということは、それはそれで「特別な」ことや「変わっっている」ことにもなりそうですけどね(笑)。
 もちろん、今後も大きな夢と目標は抱いて行きたいと思っています。でも、そこに「普通」の難しさというか、大切さを分かっていないといけないと思っています。

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